ヨーロッパバックパッカー(Bayeuxバイユー→Pontorsonポントルソン)
いざモンサンミッシェル
バスでバイユー駅に戻り次の目的地へ向かう。
次の目的地に選んだのはモンサンミッシェル。
私にヨーロッパへ行くきっかけを与えてくれた偉大な教会である。
モンサンミッシェルはパリから日帰りのバスツアーで行くのが一般的であるのだが、意外とパリから離れた場所にあるため、パリから行くのであれば、朝6時に集合して解散は夜の19時、モンサンミッシェルでの自由時間は2〜3時間程度であることが多い。
お金が無く、時間だけがある私にとってバスツアーは選択肢にも上がらなかった。
むしろ、どれだけモンサンミッシェルに近いところに宿をとって、朝一で行けるかを考えた。
その結果最適なのがポントルソンという町である。
有名な話であるが、モンサンミッシェルの島内の物価はめちゃくちゃ高い。
当時でさえオムレツが2,000円近くだったはず。
物価が高いのは島内だけに限らず、モンサンミッシェルを取り囲むように建っているホテルなんかも値段は高い。
モンサンミッシェルから離れるにつれて、ホテル料金も安くなっていき、私がギリギリ手の届く値段になるのがモンサンミッシェルから10kmほど離れたこのポントルソンという町なのである。
バイユーからポントルソンへの電車は何故かその日は運行しておらず、代替バスに乗りポントルソンへ向かうこと3時間。
到着した頃にはすっかり夜も更けて20時を超えていた。
異国の地で人助け
バスを降りようとすると、中国人の若い女性観光客が運転手と何やらもめている。
運転手は何を言っているか分からないよといったジェスチャーをしきりに示している。
この中国人もフランス語が分からないのだろう。
お前の出番だ。
私の中の善意の神様がそう呟いた。
気がつくと2人の元に歩み寄り、どうしたんだとフランス語で話しかけていた。
フランス語を多少話せるアジア人が来て安心したように見える運転手は、この中国人が何を言っているのか分からないんだと私に訴えてくる。
中国人の話を聞いてみる。
なんてこったい。
英語だ。
何を言っているのか全く分からない。
そもそも何故私はしゃしゃり出てきたのだろう。
明らかに日本人ではないアジア人な時点で、母国語か英語くらいしか話せないに決まっているじゃないか。
フランス語もいけまっせという驕りが、私に大きな勘違いをさせたのだろう。
謙虚に行かなくては。
そう自分に言い聞かせ、中国人にはアイキャントスピークイングリッシュと優しく言い聞かせバスを降りた。
わざわざどうしたんだと自分から現れて、英語ができないと言って去っていく。
コントであれば小さな笑いが起きるところである。
中国人は呆然とこちらを見ていた。
アイムソーリーも付け加えるべきだったか。
宿探しは今夜も難航
今夜の宿も、例のごとく地球の歩き方に載っていたユースホステルに決めていた。
バスの降車場から歩くこと15分、地図を片手に、もう一方の手には途中で買ったケバブを片手に探し回るが、なかなか見つからない。
辺りは既に暗くなっており、人通りもほとんど無くなってきた。
気が付けば本当に物騒な路地裏まで来てしまった。
案の定、車高の低い車、日本でいうヤン車が付いてきて、それに乗った若者数名が車内から私に叫び声を上げてきた。
叫んでは大爆笑、叫んでは大爆笑を繰り返す。
差別用語でも言っているのか。
宿が見つからないこともあって、かなりイライラが高まってきたが、勝てるはずもないので大人しくバス降車場の明るいエリアまで戻ることにした。
野宿を視野に入れる
時間が経つと、先ほどまで明るかったバス降車場もすっかり暗くなり、嫌な雰囲気が漂っている。
この旅初めての野宿の可能性が高まってくる。
最後の望みを託して、その時間に唯一営業していたバーに入り、一泊させてくれないかとお願いをしてみる。
すると、あっさり快諾。
実はこのバーには簡易宿泊所が付いており、バカンスシーズンには観光客も受け入れていたのだ。
オフシーズンであるため宿の看板を掲げていなかったのだが、とにかくツイていた。
宿泊を受け入れる準備も全くされていなかったため、シャワーや朝食もないが、その代わりに宿代もかなり安くしてくれた。
野宿にならないならどんなところでもいいですという気持ちだったので本当に助かった。
明日はいよいよモンサンミッシェル。
丸一日、島内を散策しよう。