ヨーロッパバックパッカー(bayeuxバイユー)
Cean-カン-からBayeux-バイユー-へ
カンからバイユーまでは電車で約20分。
15時までバイユー行きの電車が無かったため、カンでひたすら時間を潰した。
今考えたら、なぜ歩いてバイユーに行かなかったんだろう。
ユーレイルパスのカウントダウンが始まったから意地でもパスを使おうとしてたのだろうか。
確かに10kg程あるリュックを持って歩き続けるのは大変だが。
バイユーの大学生との出会い
バイユーへの列車に乗ると、隣に1人の青年が座った。
座る際に軽く微笑みあって隣に座る合図を交わした。
しばらくすると彼はカバンから参考書を取り出した。
私と同じ大学生だろうか。
勉強熱心で偉いなぁと見ていると、その参考書は日本語の教科書だった。
彼は日本語を勉強していたのだ。
何かとても運命的なものを感じた私は思わずこの青年に話しかけた。
私が日本人であることを知ると彼はとても嬉しそうにした。
ここバイユーは、人口約1万人程度の小さな街。
観光名所といえば、まさに私が行こうとしていたノルマンディ上陸作戦関係のビーチくらいで、戦死者を弔うために主に米英の観光客が夏のバカンスシーズンに訪れる。
当時はアジア人すら滅多におらず、バイユーの道を歩いていると顔をマジマジと見られた。
そんな小さな街の観光オフシーズンに日本人を発見したものだから、彼もびっくりしたのだろう。
意気投合した私達は夜に再開してバーで飲むことにした。
夜になり、約束の場所である街のインフォメーションセンターの前に着いてしばらく待っていると、彼が母親と共に現れた。
なぜ母親を連れてくる。文化の違いなのか。
彼が単純にマザコンなのか。
色々と疑問が湧いたが、もしかしたら浮浪者と飲みに行く息子を心配した母親が付いてきて、彼が私と飲みに行っていいかジャッジをするつもりなのかもしれない。と、なんとなく直感的にそう感じた。
そうなると、こんな貴重な機会を逃してたまるかと思った私は、下手くそなフランス語で母親に向かって、
「ジュシートレウールードゥブボワール(貴女に逢えてとても幸せです)。」
と、教科書のどこかに書いてあったであろう仏文をそのまま言い放つ。
フランス人よ、これがジャパニーズオセジである。
微笑み返してくれた母親を見て、母親審査をクリアしたことを確信した。
その後は彼、ブレース君と二人で飲みに行った。
お互い相手の言語をなんとなく片言で話せるので、会話はものすごく盛り上がった。
念のため持ってきていたポケット辞書を二人の間のテーブルに置いて会話を始めたが、二人とも辞書を使ったのはそれぞれ1回きり。
私はどうしても「田舎」という単語を使いたくて辞書をひいた。
今でも忘れない、田舎は「カンパーニュ」だ。
ブレース君との会話を通して、会話をするのに必要なのは単語力ではなくて、伝えたいという思いであることを改めて実感した。
店を変えて2軒ハシゴしたが、話の内容は日本の大学の友達と飲んでいるのと大して変わらない。
当時流行っていたサッカーゲームの話、将来の夢など。
またいつか会おうと約束をして、ほろ酔い気分で宿に帰った。
明日はついにオマハ・ビーチ!
期待に胸が踊る。