はてなブログで書いた旅行記を書籍化してみる2(商品到着!)
ヨーロッパをバックパッカーで周った旅行記をはてなブログで書き綴ってましたが、この度書籍化してみました。
書籍化の方法は過去記事をご覧ください。
kaigoeigo.hatenablog.com
そしてついに!書籍化された旅行記が自宅に届きました!
実際に実物を見た感想を述べます。
本の大きさ・厚み
マックコーヒーSとの比較です。
本の発注サイズはB5でしたが、思っていたよりも大きく見えるので満足です。
本の厚み
この旅行記は、はてなブログで1記事あたり大体1,000文字のものを37エントリーまとめたものです。
これを書籍化すると、本の厚みはおよそ1cmくらいになりました。
こちらも、思っていたよりもずいぶん厚く、重厚感がある仕上がりになっています。
記事の字体
字体も選べましたが、無難に「自動」を選んで作成しました。
結果、おそらくこの字体は明長体なのでしょうか、やや堅いイメージになってしまいました。
もうちょっと崩しても良かったかもしれません。
いくつかサンプルを見て注文しましたが、手書きのように崩し過ぎた字体もありましたので、ほどほどなものを選ぶのがベターでしょう。
まとめ
思っていたよりも厚みがあり、「本」って感じがします。
老若男女問わず読みやすい仕上がりになるのではないでしょうか。
私は自宅の本棚にこの本を忍ばせて、いつか子供たちが大きくなったら手に取ってくれて、海外への想いを馳せるきっかけになってくれることを願っています。
ブログ書籍化は、私のように自己満足のためにも使えますし、近況報告のためだったり、子供の成長記録をブログに綴ったものを親にプレゼントするなど
使い勝手は色々ありそうです。
1冊5,000円くらいで製作可能なので、プレゼントとしても気軽に渡せる値段です。
是非皆さんも使ってみてください!
ブログ製本サービス MyBooks.jp
はてなブログで書いた旅行記を書籍化してみる
誰かに書籍化してほしいとお願いされたわけではありません。
せっかくヨーロッパバックパッカーの旅行記をこのはてなブログで書いたので、製本化して残しておきたいなぁという思いと、強いて言うならば、今はまだ小さい我が子たちが、将来その本を手に取り、海外への想いを抱いてくれたらなぁという希望も込めて、旅ブログを製本化することにしました。
色々調べてみると、はてなブログの書籍化は、既に専用のサイトが用意されていてとても簡単にできることが分かりましたので、同じことを考えている方へのヒントになればと、情報をまとめました。
せっかく日々の時間を使ってブログを書いているのですから、物にして残しましょう!
はてなブログ書籍化への手順
①mybooks.jpへ無料会員登録
会員登録は1分程でできます。
簡単な会員情報を登録して仮登録を行い、送付されてくるメール本文内にあるリンク先を開けば登録完了です。
②ブログ内容をmybook.jpへ転送する
転送はワンクリックで簡単にできます。
左メニューの「設定」→「詳細設定」の一番下にある、「エクスポート 記事のバックアップと製本サービス」をクリックします。
エクスポートはこの後何度でもできますのでご安心を。
③本の詳細を決める
ここからはmybook.jpのサイトでの操作になります。
操作方法は非常にシンプルなので、説明は不要だと思います。
が、作ってみて「こういう風にしたら良い本ができるな」と気づいた点がいくつかありました。
⑴カテゴリー分けの漏れをチェック
製本作業時には、カテゴリーを指定して製本することができます。
私は旅ブログを書きながら全然関係ない記事も同じブログで同時に書いていたため、この機能はとても助かりました。
しかし、記事のアップ時にカテゴリー分けが漏れている場合、製本化のときに本からその記事が漏れてしまいます。
面倒ですが、自分が書いた旅ブログを改めて精査して、漏れがないか、また逆に関係ない記事が旅カテゴリーに分けられて製本化されてしまっていないかをしっかりチェックしましょう。
私も結構カテゴリーミスがありました。
⑵適切なフォントサイズ、製本サイズ
mybook.jpの残念なところは、製本作業中に仕上がりイメージを確認できないところです。
一旦、完成予定版を作り上げて初めてウェブ上で見ることができます。
何度か試作を作っては、微妙に違和感を感じてゼロから直すという作業を繰り返すのが若干面倒臭いです。
私が何度も試行錯誤した結果、文字の大きさは「小さな文字」で十分だと思います。
その方がページ数も少なくなり、製本価格も抑えることができます。
小さすぎるということはありませんし、普通の文庫本くらいの大きさはあります。
また、製本サイズはB6が丁度いいですね。
ただこれは主観にもよりますし、家にある本棚に合わせるという考え方もあるので、実際に大きさを確認して決められた方が良いです。
⑶字体は「自動」が一番良い
ペン字、手書きなど字体は色々ありますが、普通に「自動」が一番良いです。
他の字体は多少癖が強すぎました。
これも主観がかなり入っているので、実際に見た方が良いかもしれません。
⑷[ :contents ]などは記事から消しておく
元記事にもくじを付ける目的で、[ :contents ]などを記載していると、製本化のときはそのまま本に記載されてしまいます。
面倒ですが、すべての記載を元記事から削除して再エクスポートしましょう。
⑸見出しの記載について
製本化すると、「見出し1」は大きな文字で製本してくれますが、それ以外の見出しは大きくならないので、そのままにしておくと、見辛い文構成になってしまいます。
見出し2以降は改行とか使って目立たせる工夫を元記事で行う必要があります。
⑹掲載画像のサイズは再確認
元記事に掲載している画像のサイズは再確認しましょう。
特に携帯からアップしていた記事は、かなりのサイズになっているのですが携帯から見たときには気が付きません。
製本完成版を見て初めて、画像だけで1ページ使っている箇所を見つけてビックリしますので、あらかじめ画像は小さめに編集しておきましょう。
製本時に気になったところは以上です。
実際に注文!
私の場合、だいたい1,000字程度書いた35個の記事をカラーで製本化しました。
その他条件は以下の通りです。
- 標準サイズ(B6)
- シンプルよこ書き
- 142ページ
- カラー
- タイトルの前後は1行分の改行を入れる
結果、一冊あたりは4,138円でした。
(母親への暇つぶし用にと2冊注文しました 笑)
ページ数や画像の数にもよるかもしれませんので、あくまでも参考まで。
注文後は10営業日で届くとのこと!
到着が待ち遠しいですね。
到着しましたら、またご紹介したいと思います!!
ヨーロッパバックパッカー(最終回)
パリで最後の時間を潰す
パリに帰ってきてからは、とにかくお金がないので朝は白い門の卵かけご飯、昼は屋台のケバブ、夜はパスタ自炊を繰り返した。
スーパーで売っているビールが信じられないくらい安いので、夜はいつも食堂でそれを飲んでいた。
日中はいつもパリの中心街に出て、ブラブラ歩いてはデパートに入ったり公園で休んだり。
旅が間も無く終わる事を認識してからは何か落ち着かず、見足りないものは無いか後悔しないようにとにかく歩き回ったが、只々疲れるばかりだった。
楽しみを求めて歩き回るのとはちょっと違った。
パリへの「凱旋」
パリ最後の夜。
初めてパリに来た時から行かずに取っておいた場所があった。
凱旋門。
アウステルリッツの戦いに勝利した記念にナポレオンが建立を命じた門である。
ナポレオンの在命中に凱旋門は完成されず、死後、棺の中に入って初めてナポレオンはこの門をくぐることになった。
凱旋。
「凱」とは日本語で「勝利の時に奏でる音楽」の意味。
「旋」とは、日本語で「帰ること」
凱旋とは、戦いに勝って帰還すること。
1ヶ月以上の長い旅を明日終えようとしている中で、凱旋門に登り、上から見下ろすパリの景色はどう見えるのか。
1ヶ月振りにパリに帰ってきて、私の旅に「凱旋」を感じることができるのか。
それだけが楽しみで最後まで凱旋門に登るのは取っておいた。
凱旋門の上から
凱旋門の上から、放射状に広がったパリの夜景を見た。
目の前には只々シャンゼリゼ通りがまっすぐに伸びている。
暗くて見えないが、通りの奥にはパリに来て真っ先に行ったカフェがあるリュクサンブール公園があるのだろう。
1ヶ月前にあのカフェに入り、ドキドキしながらフランス語を話した記憶が蘇る。
道には所狭しと車が渋滞しており、日本とは比較にならない程、皆クラクションを鳴らしている。
クラクションで喧しい地上とは打って変わって、とても静かな凱旋門の上で旅を振り返った。
旅が終わる焦燥感や日本に戻る開放感、1ヶ月経って多少自分が強くなったことへの充実感。
凱旋門の上で1時間ほどぼーっと景色を眺めながら、旅を終える感覚に浸っていた。
シャルルドゴール空港のインフォメーションセンターで何一つフランス語を聞き取れずに諦めたところから旅が始まり、1ヶ月の間で私自身もとてもたくさんのことを学んだ。
最後に
尊敬するスポーツ選手の言葉。
「旅とは人生であり、人生とは旅である」
一人旅は自分を強くしてくれるし、たくさんの自分の可能性を気付かせてくれる。
悩んでいたことが、旅に出た後に振り返ると、なんてちっぽけなことだったんだと思うこともある。
人生は限られており、練習もできない。
その中で、何かできるとすれば、人生の縮約である「旅」を経験すること。
旅で人生の可能性はどこまでも広がる。
少しでも興味があったら、その場所まで旅に出よう。
旅とは人生である。
ヨーロッパバックパッカー(パリ〜物乞いについて〜)
物乞いについて
ヨーロッパにはどこの国にも物乞いがいる。
投げ銭入れを前にぼーっと座っている人もいれば、おでこを地面に擦り付けて投げ銭を乞い続ける人もいる。
この旅を始めた頃には、物乞いのしつこい要求に戸惑うことも多かったのだが、自分の中で物乞いについての考え方を整理してからは、一切物乞いを無視することに決めていた。
私の物乞いに対する考え方は実にシンプル。
私がお金を渡しても、根本的な問題は解決しないという理屈だ。
その場しのぎのお金を手にいれたとしても、普通の生活を送り続けることができるはずもなく、また彼らは明日、生きるために物乞いをしなければならない。
彼らを救う一番の手段は教育である。
お金を稼ぐ方法を知り、将来への道筋を見い出すだけの教育があれば、彼らは自分の人生を自分の力で変えることができる。
しかし彼らはお金を稼ぐ代替手段を見つける程の教育を受けていないことが多い。
移民としてやって来た人も多いだろう。
物乞いを続けても根本的な解決にならないことすら理解できずにいる。
責任を担うべきなのは「国」を始めとした行政機関だと私は思う。
国は移民による労働力などの恩恵を少なからず受けているはずだ。
その責任を果たすべく貧困対策に励むべきであるし、海外から自国に憧れて観光に来た旅行者に対して物乞いをさせるような行政運営を恥じるべきである。
という考えのもと、私は今まで物乞いの要求を一切合切断り続けて来た。
どんなに乞われても、しっかりと目を見てNoと言い続けて来た。
ある物乞いとのやりとり
ヨーロッパ滞在が残り5日となった昼下がり。
パリのリュクサンブール公園で休んでいると、ヒジャブで髪を隠したムスリムの女性が私に話しかけて来た。
びっしりと文字が書かれた白いスケッチブックと男性の写真を見せてきて、ものすごい剣幕で話しかけて来た。
夫が何かトラブルに遭ったというストーリーなのだろう。
嘘か本当かは分からない。
一瞬怯んだが、いつも通り真っ直ぐ目を見てNoと言い続けた。
しかしいつもと違って、何度Noと言っても彼女は私に何かを懇願するように話をやめない。
それでも負けじとNoと言い続けると、非常に悲しそうな顔をして彼女は私からお金を貰うのを諦めた。
「あなたを救うのは私ではなくて行政です。」
自分にも言い聞かせるように心の中でそう呟いた。
考え方は人それぞれ
次の瞬間、彼女は私の隣に座っていた若い白人男性に同じように声をかけた。
男性は話を聞くと、あっさりとお金を渡して彼女と握手をした。
私の中で整理をつけていた信念が、その時初めてぐらついた。
その場の雰囲気はというと、私が物凄く悪者で若い白人男性が人格者のようになっていた。
行政?
教育?
私はうだうだ理屈を付けたたかっただけであって、結局は見栄を大切にする日本文化と、隣人愛のキリスト教が根底にあるヨーロッパ文化との違いだけなのかもしれない。
若い男性にお金を貰った後に、ムスリムの女性はチラッと私を見た。
目が合った。
すぐに向こうから視線を切られたのだが、人格者とはこうあるべきなんだよと言われてるような皮肉めいた視線だった。
物を乞うことは必ずしも悲観的なことではない
私はその日ずっと物乞いについて考えていた。
それでもやはり私の考えは変わらない。
行政が責任を負うべきだし、物乞いも何かを変えるために自発的に考えるべきだ。
オーストラリアのウィーンで、物乞いとは言わないが、街中で大きなオルゴールを回しているおじいさんがいた。
どちらかと言えば分類は物乞いではなく大道芸にあたるのかもしれないが、音楽の街ウィーンの雰囲気を盛り上げて、彼の投げ銭入れには小銭がバンバン投げられていた。
工夫をすれば誰だってただの物乞い以上の事はできる。
それをわざわざ自分の不幸を語り、時には両腕がない事をアピールして、時には地面に這いつくばって、投げ銭入れにお金を入れて貰うのはやはり私は違和感を感じる。
平和で幸せな国で育ったからこその考え方だと言われても結構。
私はこの問題の本質は、教育を始めとする行政運営にあると言い続けたい。
しかし、最後にムスリムの女性と目が合って以降、私は物乞いをまともに見ることができなくなった。
すんなりお金を渡した白人男性を思い出すと、後ろめたさを感じてしまう。
物乞いにお金を渡さないことに対して罪悪感を感じているのも事実である。
ヨーロッパバックパッカー(ブリュッセル→パリ)
ただいまパリ
ユーレイルパスの有効期限が切れたので、バスでパリへ行くことにした。
ブリュッセルからパリの中心街までは、バスで30ユーロ…。
初めてユーレイルパスの有り難さを実感した。
バスに揺られること4〜5時間。
遂にパリに戻ってきた。
バスの終着地点はオペラガルニエの目の前だった。
ただいま白い門
1ヶ月前に死ぬほど歩いた街なので、地図を見なくても動き回れる。
真っ先にやったことは、やはり宿予約。
そして迷うことなく予約したのは、やはり白い門だった。
お世話になったのは1ヶ月以上も前だったのにもかかわらず、オーナーのリーさんは、久しぶりですねと覚えていてくれた。
ふるさとに帰る思いで、地下鉄に乗りパリ19区にあるクリメ駅を目指した。
故郷の香り
1ヶ月前、白い門に到着してドキドキしながら案内人を待っていた自分がもはや懐かしい。
慣れたように団地の住民に便乗して鍵付きの鉄格子の門をくぐると、白い門までの道はしっかりと覚えていた。
部屋に入ると1ヶ月前と何も変わらない様子が広がっていた。
猫も覚えていてくれたのか、5匹とも寄ってきて再開のスリスリをしてくれる。
1ヶ月前に宿を仕切っていた若い兄ちゃんはもうおらず、代わりに若い女の子が案内役やらを勤めているようだ。
オーナーのリーさんからはゆっくりしていきなさいと声をかけられた。
まるで実家に帰ってきたような感覚になった私は、実家でいつもしているように、本棚から旅人が残していった漫画を取り出して、ベッドに寝っ転がり漫画を読み始めた。
旅の終わりが確定した
翌日、私はパリのシャンゼリゼ通りに用事を済ませにいった。
用事とは、帰国便の予約である。
遂にお金が底をつき、これ以上滞在できないことを確認した私は、5日後の日本行きの飛行機を予約した。
アエロフロートのパリ支店の窓口での予約は、日本語が分かる方が窓口担当だったため、非常にスムーズに完了した。
いよいよ旅のフィナーレが見えてきてしまった。
寂しい気持ちもあるのだが、お金をしっかり貯めてこなかった自分が悪いので、そんな気持ちになっても仕方ない。
またお金を貯めて出直そう。
ヨーロッパバックパッカー(ブリュッセル②)
ブリュッセルで楽しみにしていたものが3つあった。
1.ベルギーワッフル
ブリュッセルの街の中には、いたるところにワッフル屋さんがあった。
私はベルギーに実際に行くまで、ベルギーワッフルとは、ブルガリアヨーグルトのように日本の企業のマーケティング上の都合で付けられた名前であり、本国ベルギーでは実際誰も知らない類のものだと信じていた。
しかし実際行ってみると無数のワッフル屋さんがある。
例えばこんな丘の上にあるワゴン車タイプのワッフル屋さんなんかも、ベルギーの景色に溶け込み、とてもいい味を出している。
2.グランプラス
フランス語で「大きな広場」のことをグランプラスというのだが、もはやこの言葉は固有名詞化してしまっている。
それぐらい、グランプラスといえばブリュッセルのグランプラスが有名であり、世界一美しい広場とも言われている。
私がグランプラスに行ったのは12月の中旬。
広場は思いっきりクリスマスムードが漂っており、ブラスバンドが踊りながら音楽を奏でていた。
広場の美しさに合う素晴らしい雰囲気だった。
3.ジュリアンくん
ベルギーといえばやはりこれ。
ジュリアンくんことブリュッセルの小便小僧は、世界がっかり観光名所の常連でもあり、シンガポールのマーライオンと熾烈なトップ争いを繰り広げている。
起源とされているのは、爆弾の導火線におしっこをかけて火を消し、町を救ったジュリアンという少年の伝説。
世界各国に広まっている小便小僧像のルーツと言われている。
ジュリアンくんの像はグランプラスのすぐそばにあるため、噂は既に耳に入っていたものの、怖いもの見たさで行ってみた。
いた。
笑っている。
そして何より面白いのは、ジュリアンくんが世界がっかり名所になっている理由である。
小さい。
とても小さい。
その場にいた誰もが苦笑してしまうくらい小さいのである。
観光ガイドに載せるジュリアンくんの写真も、大きさが分かるように上の写真くらい引いて撮ってくれれば良いのに。
小さいながらニヤついて小便を垂れ流し続けているジュリアンくんの様子が何とも可笑しくて、私は彼のファンになった。
この旅で私は、観光地の記念品なんぞ滅多に買ってこなかったが、ジュリアンくんの頭に輪が付いた栓抜きを見た時は、思わず衝動買いしてしまった。
夜のグランプラス
夜になり、イルミネーションに照らされたグランプラスはどこかのテーマパークの中にいるように錯覚してしまうくらい完成度が高い広場となっていた。
私はもうジュリアンくん中毒者になっていたため、夜の彼の様子を確認せずには居られなかった。
いた。
相変わらず小さい。
いや昼よりも更に小さく見える。
もうちょっとライトで照らしてあげれば良いのに。
ほの暗い空間の中でより一層小さく見えるジュリアンくんは相変わらずニヤついていた。
ヨーロッパバックパッカー(ブリュッセル)
最先端のドイツ鉄道に乗ってベルギーへ
ケルンからブリュッセルは、最後のユーレイルパスを使って鉄道で移動。
ドイツは鉄道文化が発達していると聞いただけあって、今まで乗ったどの列車よりもカッコよくて、何より清潔感があった。
座席の背もたれも頭の上10〜20cmくらいの高さまであり、後方から車内を見ると人影が見えずに混んでいるのか空いているのか分からないほどだった。
多言語国家ベルギー
ベルギーはオランダ語、ドイツ語、フランス語を公用語とする多言語国家である。
ドイツ語を話す国民は東側にちょっといる程度なのだが、国の真ん中に言語境界線なるものがあり、そこから北はオランダ語、南はフランス語を話す人が南北に分かれる。
島国日本で育った私にとっては、他国が陸続きであるだけで驚きなのに、同じ国で違う言語を使うとなると、もはや想像が追いつかない。
更に細かく言うと、オランダ語はドイツ語などと同様にゲルマン語をルーツとしており、フランス語はラテン語をルーツとしているため、そもそも違うルーツの言語2つを公用語として国が採用しているのである。
スペイン語とポルトガル語を公用語にするのとはわけが違うのである。
うーん生活の色々な場面で面倒臭そう。
異国の地で道案内
宿も難なく見つかり、荷物を置いて街の中心街に向けて歩いている時だった。
「エクスキュゼモアムシュー」
と通行人のおばさんに声をかけられた。
フランス語だったため話を聞いてみると、何やら教会を探しているとのこと。
たまたまさっき通りかかった教会を覚えていたので丁寧に教えてあげると、お礼を言ってその場を去った。
再び歩みを進めると、次はおじさんが声をかけてきた。
タバコを吸うための火を持っているかとのこと。
ライターを貸してあげると、微笑んでお礼を言われた。
2つとも今まであまり無い経験だった。
まず異国の地で道案内をするのが初めてだった。
そもそも道を尋ねる人として、でかいバックパックは宿に置いたものの、ニット帽、ヒゲ面、ダボダボのウェアを着たアジア人である私を選択するのはかなりギャンブルではないか。
外見だけで判断すると、いえいえ私も観光客なので分かりませんと言われる可能性の方が高いのに。
火を貸してあげた人の例もそうだが、このベルギーは人と人との距離が近いのかもしれない。
それとも、多言語国家であり、北に超自由の国オランダがあるだけに、外見なんかはその人を表すものとして参考にはならないと言う考え方が根付いているのか。
国、言語、人々のルーツもよく勉強しないと分からないが好感が持てる国だ。
ブリュッセルの地ビール?
夜はドイツに引き続き、またしても安めのレストランに入った。
オムレツと共に、ウェイターにブリュッセルのビールが飲みたいと頼んでみた。
すると、「ダークかホワイトか?」という質問が返ってきた。
「地ビールのダーク」には地雷が潜んでいそうなことを直感で感じ取り、ホワイトを注文すると下の写真のビールがテーブルに置かれた。
!?
ホワイトと言うよりはどこからどう見てもレッド…
これを持ってきたウェイターは、「ストロベリービールだよムシュー」と言葉を添えた。
ホワイトとは何だったのか。
しかし飲んで見ると意外にまあまあ美味しい。
赤ワインとビールを混ぜたような味だ。
お口直しに普通のビールをおかわりしたのは言うまでもない。