パザパコンティニュエ

ヨーロッパバックパッカー記、介護、英検、住宅などの備忘録

ヨーロッパバックパッカー(ceanカン)

さよなら白い門、さよならマダム

 

オマハ・ビーチを目指すために私は北西へ向かうことになった。

列車の時刻の都合上、一回でオマハ・ビーチに辿り着くことができないため、今日はちょうど中間地点であるCean(カン)という街まで行くことにした。

朝、白い門を出発する時、あの日本人嫌いのマダムが挨拶してくれた。

フランス語を勉強していた話を一度したことを覚えていたらしく、最後に私に向かって「言葉は誰にでもできるから頑張りなさい」と言った。

なんだか最後までつかみどころの無い人だったが、後に知ることになるが私はマダムにとって中々好印象だったらしい。

なぜか最後の言葉にとても励まされて、気合いを入れ直して白い門を出発した。

 

ついに登場「ユーレイルパス」

 

日本で予め買っていた鉄道パス。

ユーレイルパスには一等車乗り放題の通常タイプと25歳以下向けの二等車乗り放題のユースタイプがある。

私は当然安いユースタイプのパスを購入し、確か22日間有効のパスで当時6万円くらいだったことを記憶している。

22日間というのは、一番最初にこのパスを使った時から開始する。

つまり一回使ってしまうと22日間のカウントダウンが始まるのである。

Cean(カン)に向けてこのカウントダウンがスタートし、この後一気に移動ペースが早くなっていった。

 

城下町「Cean-カン-」

 

カンはノルマンディ地方にある代表的な城下町であり、ここも第二次世界大戦時に激しい戦火の中で焼け野原になった。

オマハ・ビーチで生き残って上陸できた兵士達は、このカンでも激しい戦いを繰り広げた。

そんな歴史を感じさせないくらい街は整然としている。

街の中心にある年季の入った大きな教会だけが当時の様子を物語っていた。

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カンに着いた頃にはすっかり外は暗くなっていた。

地球の歩き方を見て15ユーロで泊まれる格安のシングルルームを見つけた。

安いだけあって駅からは徒歩で30分程かかる。

時間だけは有り余っている旅なので迷いもなくそこに向かう。

 

が、あまりの遠さに途中何度も道に迷ってしまう。

なりふり構わず地図を広げて見ていると、すぐに通行人が話しかけてくれた。

 

フランス人は基本的に世話焼きだ。

道に迷って困ってる人がいたら、大抵の人が手を差し伸べる。

この後も色々な場面で味わったのだが、とにかく皆何かと助けてくれる。

このカンでも2人の若者に助けられてホテルを見つけることができた。

最後に助けてくれた若者は、ホテルのフロントまで一緒についてきて受付まで済ませてくれた。

日本人の私はこういった優しさは心から見習おうと強く思った。

 

初めての1人の夜

 

そういえば白い門を離れて初めて1人の夜を迎える。

シャワーから上がり、買っておいた缶ビールを開けて至福の時を過ごす。

父親から借りて日本から持ってきた携帯ドライヤーは、電源を入れた瞬間に火を噴いてショートした。

これ以降の旅のシャワー後の髪はすべて自然乾燥となった瞬間であった。

 

パンを拝借

 

ホテルというだけあって朝食はビュッフェスタイル。

と言っても大したおかずはなく、3種類くらいのパンとドリンクが食べ飲み放題なだけ。

店員もいないので、勝手に食って勝手に出てってくれという状態。

 

こうなると貧乏バックパッカーとしてはパンのテイクアウトを意識し始める。

カゴにあるパンをいくつか取り皿に入れ、自分の席に戻るや否やポケットに流し込む。

あまり目立つとバレて恥ずかしい結果になりかねないので、5、6個吸収したところでやめておく。

あぁ食った食ったと言わんばかりに、腹ではなく溢れんばかりにポケットから漏れそうになっている大量のパンを押さえながらビュッフェを離れた。

 

さぁ昼飯代が浮いた。出発だ。

 

ホテルを出る際に受付の姉ちゃんにこれまた覚えたてのフランス語を試してみた。

 

「セテトレボンセジュール(とてもいい滞在でした)」

 

受付までの姉ちゃんはにっこり笑って送り出してくれた。

 

今日はいよいよオマハ・ビーチがある街「Bayeux(バイユー)」へ向かう。