パザパコンティニュエ

ヨーロッパバックパッカー記、介護、英検、住宅などの備忘録

ヨーロッパバックパッカー(パリ〜物乞いについて〜)

物乞いについて

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ヨーロッパにはどこの国にも物乞いがいる。

投げ銭入れを前にぼーっと座っている人もいれば、おでこを地面に擦り付けて投げ銭を乞い続ける人もいる。

 

この旅を始めた頃には、物乞いのしつこい要求に戸惑うことも多かったのだが、自分の中で物乞いについての考え方を整理してからは、一切物乞いを無視することに決めていた。

 

私の物乞いに対する考え方は実にシンプル。

 

私がお金を渡しても、根本的な問題は解決しないという理屈だ。

 

その場しのぎのお金を手にいれたとしても、普通の生活を送り続けることができるはずもなく、また彼らは明日、生きるために物乞いをしなければならない。

 

彼らを救う一番の手段は教育である。

 

お金を稼ぐ方法を知り、将来への道筋を見い出すだけの教育があれば、彼らは自分の人生を自分の力で変えることができる。

 

しかし彼らはお金を稼ぐ代替手段を見つける程の教育を受けていないことが多い。

移民としてやって来た人も多いだろう。

物乞いを続けても根本的な解決にならないことすら理解できずにいる。

 

責任を担うべきなのは「国」を始めとした行政機関だと私は思う。

国は移民による労働力などの恩恵を少なからず受けているはずだ。

その責任を果たすべく貧困対策に励むべきであるし、海外から自国に憧れて観光に来た旅行者に対して物乞いをさせるような行政運営を恥じるべきである。

 

という考えのもと、私は今まで物乞いの要求を一切合切断り続けて来た。

 

どんなに乞われても、しっかりと目を見てNoと言い続けて来た。

 

 

ある物乞いとのやりとり

 

ヨーロッパ滞在が残り5日となった昼下がり。

パリのリュクサンブール公園で休んでいると、ヒジャブで髪を隠したムスリムの女性が私に話しかけて来た。

 

びっしりと文字が書かれた白いスケッチブックと男性の写真を見せてきて、ものすごい剣幕で話しかけて来た。

 

夫が何かトラブルに遭ったというストーリーなのだろう。

嘘か本当かは分からない。

一瞬怯んだが、いつも通り真っ直ぐ目を見てNoと言い続けた。

 

しかしいつもと違って、何度Noと言っても彼女は私に何かを懇願するように話をやめない。

それでも負けじとNoと言い続けると、非常に悲しそうな顔をして彼女は私からお金を貰うのを諦めた。

 

「あなたを救うのは私ではなくて行政です。」

 

自分にも言い聞かせるように心の中でそう呟いた。

 

 

考え方は人それぞれ

 

次の瞬間、彼女は私の隣に座っていた若い白人男性に同じように声をかけた。

男性は話を聞くと、あっさりとお金を渡して彼女と握手をした。

 

私の中で整理をつけていた信念が、その時初めてぐらついた。

その場の雰囲気はというと、私が物凄く悪者で若い白人男性が人格者のようになっていた。

 

行政?

 

教育?

 

私はうだうだ理屈を付けたたかっただけであって、結局は見栄を大切にする日本文化と、隣人愛のキリスト教が根底にあるヨーロッパ文化との違いだけなのかもしれない。

 

若い男性にお金を貰った後に、ムスリムの女性はチラッと私を見た。

 

目が合った。

 

すぐに向こうから視線を切られたのだが、人格者とはこうあるべきなんだよと言われてるような皮肉めいた視線だった。

 

 

物を乞うことは必ずしも悲観的なことではない 

 

私はその日ずっと物乞いについて考えていた。

 

それでもやはり私の考えは変わらない。

 

行政が責任を負うべきだし、物乞いも何かを変えるために自発的に考えるべきだ。

 

オーストラリアのウィーンで、物乞いとは言わないが、街中で大きなオルゴールを回しているおじいさんがいた。

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どちらかと言えば分類は物乞いではなく大道芸にあたるのかもしれないが、音楽の街ウィーンの雰囲気を盛り上げて、彼の投げ銭入れには小銭がバンバン投げられていた。

 

工夫をすれば誰だってただの物乞い以上の事はできる。 

それをわざわざ自分の不幸を語り、時には両腕がない事をアピールして、時には地面に這いつくばって、投げ銭入れにお金を入れて貰うのはやはり私は違和感を感じる。

 

平和で幸せな国で育ったからこその考え方だと言われても結構。

 

私はこの問題の本質は、教育を始めとする行政運営にあると言い続けたい。

 

しかし、最後にムスリムの女性と目が合って以降、私は物乞いをまともに見ることができなくなった。

 

すんなりお金を渡した白人男性を思い出すと、後ろめたさを感じてしまう。

 

物乞いにお金を渡さないことに対して罪悪感を感じているのも事実である。