パザパコンティニュエ

ヨーロッパバックパッカー記、介護、英検、住宅などの備忘録

ヨーロッパバックパッカー(Rennesレンヌ→Nantesナント→Bordeauxボルドー)

ナントでの誘い

 

ポントルソンからレンヌを経由してナントまでたどり着いた時には既に夜になっていた。

今日ボルドーに向かうのは無理だろうと判断して、ナントのユースホステルに泊まることにした。

 

今回のドミトリーは5人部屋。

 

私以外にはフランス人が3人、アメリカ人が1人。

見るからに悪そうなフランス人の1人が私にどこから来たのだと話しかけてきた。

日本だと返すと嬉しそうにこう言った。

 

「俺は今日本人の奥さんがいるからちょっと日本語話せるんだ。どうだ、今から一緒に2人で俺の行きつけで飲まないか?」

 

正直かなり迷った。

 

実はこの時代、フランスでは旅行客を狙ってお店とグルになった悪党がユースホステルに泊まって、こういった手口で旅行者を誘い、店で恐喝してお金を奪うという犯罪が多発していたのだ。

当時、日本の外務省のホームページでもかなり注意勧告されていたほど。

 

出会いこそが旅の醍醐味なので、飲みに行きたいのだが、悪党なのか判断つかない。

ただバイユーにいるときに一緒に飲んだ真面目なフランス人とは全くタイプが違う。

 

疑念が拭えなかったので一つ質問してみた。

 

「私が店を決めてもいいか?」

 

すぐに返答が帰ってきた。

「ダメだ。俺の行きつけがある。」

 

それを聞いて、一緒に飲みに行く気は完全に無くなった。

もしかしたら、本当に行きつけがあるだけの地元の日本人好きの兄ちゃんだったのかもしれない。

ただ、万が一のことがあるとその時点で旅が終わってしまう。

まだスタートして10日でそんなリスクは踏めない。

「どうしても行きたい店があるんだ。」

私がそう告げると、そのフランス人は諦めてどこかに消えていった。

 

地元の名店

 

その後、私は街に出て遅めの夜ご飯を食べる場所を探した。

夜22時を過ぎていた。

ユースホステルは街のはずれだったため、そもそも営業しているお店がほとんどない。

 

辛うじてやっていた小さな個人経営のような飲み屋に入り食べ物をお願いするも、もう遅いから飲み物しか提供できないと断られた。

お腹がすいて死にそう、何でもいいので食べるものをくれといった気持ちをフランス語で、ボワールじゃない!マンジェだ!と熱弁したのを今でも覚えている。

 

根負けした店主が本当に余り物の肉一枚を焼いてマッシュポテトと共に出してくれた。

もちろんビールも頼んだ。

この時食べたお肉の味は忘れられないくらい美味しかった。

何となく入ったお店で、この旅で最も美味しかった料理の一つと巡り会えた。

 

ユースホステルに戻ると、さっきのフランス人はいなかった。

1人のイビキが今までの人生で聞いたことないくらいの激しさで、それに舌打ちしている別の人もいて、険悪なムードの中で私は眠りについた。

 

さて明日はボルドー

美味しいワインだけが楽しみだ。